2013年5月27日月曜日

asahi shohyo 書評

朝昼夕3つのことを心がければOK!—あなたの人生を変える睡眠の法則 [著]菅原洋平

[文]朝日新聞社広告局  [掲載]2013年05月15日

表紙画像 著者:菅原洋平  出版社:自由国民社 価格:¥ 1,470

■作業療法士による科学的に睡眠の質を向上させる3つの心がけ

 脳の回復に睡眠が重要であるこ とは言うまでもない。ただし、「質のよい睡眠」でなければ意味がないと著者は説く。たとえば十分睡眠をとった翌日であっても、午後1時30分から午後3時 の時間帯の会議で眠気を覚えた経験はないだろうか。あるいは疲れているからと帰宅の電車で一眠りしたけれど、一向に疲れはとれないという声も多い。こうし た現象を引き起こす原因を科学的に分析し、睡眠の質を向上させるための方法、さらには日常生活で実践可能な「睡眠の法則」について解説したのが本書であ る。
 ポイントは「起床から4時間以内に光を見て、6時間後に目を閉じ、11時間後に姿勢を良くする」という3つの生体リズムの活用にある。著者 自らが実践し、長年続いていた頭痛を解消しただけでなく、作業療法士としての臨床実験に基づく内容だけに納得がいく。どうしても徹夜が必要な人へのアドバ イスも参考になる。ごく自然に、かつ無理をせず「内側からコンコンとやる気が湧き上がる」という具体的な成果を手に入れるために、ぜひ本書を活用して欲し い。

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著者:菅原洋平/ 出版社:自由国民社/ 価格:¥1,470/ 発売時期: 2012年09月

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2013年5月22日水曜日

kinokuniya shohyo 書評

2013年05月21日

『黄禍論と日本人−欧米は何を嘲笑し、恐れたのか』飯倉章(中公新書)

黄禍論と日本人−欧米は何を嘲笑し、恐れたのか →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「さて、お楽しみいただけたでしょうか。「面白くなければ歴史ではない」などというつもりはもちろんないのだが、諷刺画を扱っているからには、読者の皆 さんにはその皮肉や諧謔を味わってもらいながら、当時の歴史を実感していただければと思った。現代の感覚で、当時のユーモアを理解するのは容易ではないで しょうが……」。本書の「あとがき」は、このような文章ではじまる。最後の「現代の感覚で、当時のユーモアを理解するのは容易なことではないでしょう が……」から、著者、飯倉章の苦労が偲ばれる。さらに、著者は、読者に西洋「紳士の嗜(たしな)み」とされる「高度なユーモアやウィット」を理解してもら おうとしている。

 ある意味で風刺画の黄金時代とされる、本書で論じられている19世紀終わりから1920年代半ばまでの歴史と社会を読み解くためには、それが描かれた背 景を知る必要がある。著者は、つぎの3点を「序章 諷刺画の発展と人種主義」で確認している。「まず諷刺画家は歴史家ではない。従って、諷刺画も通常の意 味で歴史の資料となりうるものではない。ただ、諷刺画を通して、歴史的事件の隠された側面や、外交文書・記録や新聞・雑誌の記事では窺(うかが)い知れな い多様な意味が明らかにされることはある。また、表現そのものが荒唐無稽(こうとうむけい)な想像力の産物であったとしても歴史的に意味を持つ場合もある かもしれない」。

 「第二に、諷刺画を読み解くにはそれが描かれて発表された時のコンテクスト(文脈)を十分理解する必要がある。本書で取り上げる諷刺画は、時事諷刺漫画 や政治漫画とも呼ばれるものであり、時代と切り離して普遍性をもって鑑賞される絵画とは異なる。発表された日付や年月、題材としているであろう事件や出来 事を理解しないと、まったく違った意味に解釈してしまうおそれがある」。

 「第三には、諷刺画家自身の信念・信条と課せられた制約条件も理解しておく必要があるだろう。諷刺画家は信念・信条を持っているが、思うがままに描ける わけではなく、さまざまな制約条件を課せられている。制約条件とは、読者であり、諷刺画を掲載する媒体の編集者であり、社会や政府である。諷刺画家は、ま ずは読者のために描くと言えよう。それもたいていはその媒体が売られている地域の特定の読者のために描く。一〇〇年以上も経ってから鑑賞されるとは想定し ていないだろう。彼らは、さらに自らの作品を掲載する新聞・雑誌の編集者を意識して描く。むろん、諷刺画家が常に読者や編集者に媚(こ)び迎合していると いうのではない。その時代の雰囲気を理解しながら、想像力でその一歩先を行くようなものを描くこともあるだろう」。

 本書は、黄禍論を通して、「近代的な人種概念に裏づけられた人種主義」をみようとしている。黄禍論は、「自分たちのみが優等であると信じる白色人種社会 が、黄色人種への蔑視に基づく政治・外交を当然と考えていた時代の産物である」。「とくに東アジアの黄色人種、日本人と中国人が連合して攻めてくる、と いった脅威」を「黄禍」と名づけた。著者は、さらにつぎのように説明をつづけている。「黄禍思想は、日清戦争後に流布したものである。これは自由・平等・ 博愛・民主主義・人権尊重を根幹とする西洋近代思想と比べれば、はるかに薄っぺらなものだ。しかし、大衆化が進む西洋メディアのなかで、新聞・雑誌の記事 から未来小説、さらにはヨーロッパから新大陸に普及した諷刺画(ふうしが)の格好のトピックとなっていく。さらに、三国干渉後、ドイツの皇帝(カイザー) ヴィルヘルム二世は後に「黄禍の図」と呼ばれることになる寓意画(ぐういが)を西洋の指導者に配ったが、西洋ではこれをパロディ化する諷刺画も多く生まれ た」。

 「本書は、そのような人種主義に裏打ちされた「黄禍」としての日本・日本人イメージが、主に欧米の新聞・雑誌の図像、とくに諷刺画のなかで、どのように 表彰・表現されていったかを明らかにするものである。一九世紀末から二〇世紀初頭の日本や日本人は、時に極端に歪曲(わいきよく)されて醜く描かれること があった。しかし、興味深いのは、時々の国際関係のなかで、日本を支持したり頼りにした国々において、「黄禍」をパロディ化して嘲笑(あざわら)ったり、 批判している諷刺画もたくさん描かれたことである」。

 そして、「黄禍思想は、日本・日本人に対する西洋人の認識のなかに根を下ろして、日本との対立が顕著になった時に露骨に唱えられることもあった。近代の 日本人につきまとった黄禍論を吟味しながら、その影響下で描かれた日本人像」をみた著者は、つぎのように結論して、本書を終えている。「日本は、アジアに おける非白人の国家として最初に近代化を成し遂げ、それゆえに脅威とみなされ、黄禍というレッテルを貼られもした。それでも明治日本は、西洋列強と協調す る道を選び、黄禍論を引き起こさないように慎重に行動し、それに反論もした。また、時には近代化に伴う平等を積極的に主張し、白人列強による人種の壁を打 ち破ろうとした。人種平等はその後、日本によってではなく、日本の敵側の国々によって規範化された。歴史はこのような皮肉な結果をしばしば生む。そう考え ると、歴史そのものが一幅の長大な諷刺画のように思えないでもない」。

 後に「黄禍の図」と呼ばれた寓意画を描かせたドイツ皇帝ヴィルヘルム二世は、いろいろお騒がせな君主だったようだ。第一次世界大戦休戦直後に退位させら れたが、本書からも退位させられた理由がわかったような気がした。いっぽうで、かれの言動から、ヨーロッパがアジアをみるときの本音も感じた。

 新幹線のなかで読む本2冊を鞄に入れるはずが、自宅を出た後1冊もないことに気づいたときは、一瞬途方に暮れた。幸い、駅の本屋に立ち寄る時間はあっ た。そんなときに買った本だったが、それなりに楽しめた。この時代、欧米がけっこう東アジアに注目していたことも確認できた。それだけ、東アジアは欧米に とって魅力的な「侵出地」であったともいえる。

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Posted by 早瀬晋三 at 2013年05月21日 10:00 | Category :





kinokuniya shohyo 書評

2013年05月13日

『ヴォルガのドイツ人女性アンナ—世界大戦・革命・飢餓・国外脱出』鈴木健夫(彩流社)

ヴォルガのドイツ人女性アンナ—世界大戦・革命・飢餓・国外脱出 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「ヴォルガ・ドイツ人女性の苦難の物語」

 本書(鈴木健夫著『ヴォルガのドイツ人女性アンナ--世界大戦・革命・飢餓・国外脱出』彩流社、2013年)の主人公アンナ・ヤウク (1889−1974)は、ロシア・ヴォルガ地方のドイツ人移民の富裕な農家に生まれた女性である。彼女は、苦難の末にドイツへ脱出し、のちにドイツ語で 『ヴォルガ・ドイツ人の運命—ボリシェヴィズムに破壊された故郷の滅亡を生き延びたひとりの在外ドイツ人の体験』(1937年)と題する手記を筆名(アン ナ・ヤネッケ)で出版したが、本書はその手記をもとにヴォルガ・ドイツ人が歴史的にどのような運命を背負って生きてきたかを紹介しながら、「20世紀の人 類の歴史にあって忘れてはならない現実の一端」(同書、11ページ)を映し出そうとした好著である。

 ヴォルガ地方へのドイツ人移民は、エカチェリーナ一世(1684-1727)の時代、彼らの進歩的な農業の経営と技術を採り入れるという目的で政 策的に進められた。当時のヨーロッパのほとんどの国はエカチェリーナの入植誘致政策には敵対的な態度を示したが、西南ドイツの小さな領邦や帝国都市などの ように国民の国外移住への禁止や規制の緩かったところでは、ロシアに新天地を求めようとする動きが出てきた。著者によれば、「長年の戦争による荒廃、兵 役、圧政、飢餓、貧困、人口増加による土地不足、宗教上の不寛容などが、移住の要因となっていた。『ロシアでは自分たちと同じドイツ生まれの、美しい若い 女帝が誘ってくれている』と受け取られた」という(同書、18ページ)。
 こうして、1764年以降、ドイツ西部の中央部(ヘッセンなど)から南部(ヴュルテンベルク、バーデンなど)にかけての地域を中心にロシア移住への大き な流れが生まれた。ヴォルガ地方への入植者は、短い期間(1767年から68年)に2万3千人から2万9千人にものぼったが、入植は南ロシアや黒海沿岸な どの方面にも活発となり、アレクサンドル二世(1818-81)の時代の1858年には、ロシア国内のドイツ人の人口は84万3百人(総人口の1.1%) に達したという。
 アレクサンドル二世は、クリミア戦争の敗北後、「上からの改革」を強力に推し進めた皇帝として知られるが、ドイツ人移民に対しても従来の法的特権や特別 行政を廃止し、兵役を課すなど、「ロシア帝国の臣民」になることを求めた。さらに、アレクサンドル三世(1845-94)の時代には、国内の非ロシア民族 に対する徹底したロシア化政策が推進されるようになり、ドイツ人入植者にもロシア語が強要された。19世紀末にはロシア国内のドイツ人は177万人余に達 していたというから、決して少なくない人数である。


 アンナ・ヤウクは、1889年、ヴォルガ河からかなり東に奥まったところにあるオーバードルフ村(ロシア名はクプツォヴォ)の豊かな農民の家に生まれ た。時代の流れとともに土地利用制度の変化はあったが(ロシア的な共同体的土地利用から西欧的な土地利用秩序への移行)、アンナの父親は耕地と牧草地を合 わせて300エーカーを所有し、さらに近くの国有地を12年契約で賃貸しながら大規模な農業経営を営んでいたというから、彼女はいわゆる「クラーク」(富 農)と呼ばれる家に生まれたことになる(だが、のちのロシア革命後、クラークは追放の対象となる)。
 だが、1905年9月20日、突然の悲運がアンナを襲った。アンナの村では結婚式で新郎新婦を祝うために大空に向けて銃を発射する習慣があったが、アン ナの兄ハインリッヒが発射したはずの銃がなぜか発火しなかった。兄は一度地上に向けて撃ってからやり直すようにという隣人のアドバイスに従おうとしたとこ ろ、その銃弾が庭のリンゴをもいでいたアンナの左脚に命中してしまったのである。重傷であった。アンナは、結局、左脚を切断することで命を取り留めた。そ れからアンナは義足での生活を余儀なくされるのである。
 左脚を失っても、アンナには夢があった。小さい頃から裁縫が得意だったので、その仕事で独り立ちしたいという夢である。両親は当初反対だったが、ヴォル ガ左岸の町に住む義兄の説得もあって、その町の裁縫学校で学ぶことができた。そして、1911年、22歳で自分の裁縫学校を開くまでになる。アンナの夢は 膨らみ、いつかサラトフにドイツ人家政学校を開設したいとまで思うようになった。


 ところが、1914年7月、第一次世界大戦が勃発した。この戦争でドイツはロシアの敵国となり、ロシア在住のドイツ人も敵国人の扱いを受けた。しかも、 若者は「ロシア軍兵士」として母国ドイツとの戦争に駆り出されたというから、二重の苦しみを味わされたことになる。アンナの兄たちも戦場へと駆り出され た。
 著者によれば、大戦勃発後、ゴレムィキン首相は、「われわれはドイツ帝国に対してだけでなくドイツ人に対して戦争を遂行するのだ」と通告し、ニコライ二 世(1868-1918)の勅令(1915年2月2日)に基づいて、「ドイツとの国境に近いロシア西部・南部に居住していたドイツ人に対して、強制的な財 産没収、知識人(牧師、教師、法律家など)の逮捕、ヴォルガ地方・ウラル地方・シベリアへの追放が行われた」という(同書、42ページ)。ロシア西部から 全体で50万人が追放されたという数字も残っている。
 しかし、ヴォルガ・ドイツ人も安泰ではなく、彼らのシベリアへの強制移住も着々と準備されつつあった。強制移住の決定は、ヴォルガ・ドイツ人を絶望に陥れた。アンナの手記には次のような文章が綴られているという。引用してみよう。

「ある日曜日、牧師たちは説教壇から、長いこと準備され今や公表された追放令を読み上げた。各家族は、衣類と必要な家具以外は一頭の家畜のみを持っ て行くことが許され、家と屋敷は国家の所有となる。これは残酷な仕打ちである。はじめすべての人びとは無言で跪き、祈った。しかし、つぎには絶望感が広 がった。『なにゆえに私たちの祖先はこの地にやってきたのか。なにゆえにドイツに留まってくれなかったのか』。出発の日はまだ決められていなかったが、毎 日、それを覚悟しなければならなかった。」(同書、43-44ページ)

 ところが、この強制移住計画が実行に移されることはなかった。なぜなら、まもなくペトログラート(旧サンクト・ペテルブルク)に二月革命 (1917年)が起こり、ロマノフ王朝が崩壊したからである。だが、その後、十月革命によって、レーニンを指導者とするヴォリシェヴィキが権力を掌握し、 社会主義の建設へと進み始めた。そして、今度は富裕者からの財産没収が始まったのである。ヴォルガ・ドイツ人地域も例外ではない。もちろん、革命や社会主 義建設はすべて順調に進んだのではない。1921年の春頃までは、内戦(つまり、赤軍と白軍の戦い)が各地で続き、混乱がやまなかった。だが、アンナは、 赤軍による略奪行為を決して忘れなかった。手記にはこうある。

「『略奪されたものを略奪せよ』というレーニンのスローガンによる財産没収は貧しい人びとの正気を失わせた。赤軍兵は、いまや突然主人となり、すべ てが自分たちのものだと考え、略奪した。烏合の衆が商店や家に駆け込み、主人を脅迫することが日常茶飯事となった。人びとは、通りに投げ出された略奪品を 奪い合った。かつてアンナの家で洗濯婦として真面目に働いていた女性もこの狂気にとらわれ、窓に掛けてあった衣類をひったくり、叫んだ。『いまや金持ちの 衣服で私の身体を包んでみるのだ』と。」(同書、53ページ)


 財産没収が大きな痛手であったことはいうまでもないが、内戦のあと、日照り続きのために凶作となり、恐るべき飢餓がやって来た。その上、伝染病(とくに チフス)も蔓延するようになった。ロシア全体で何百万もの人が死んだにもかかわらず、「新政府は市民の生活は放置し、新しいイデオロギーの浸透こそを最大 の課題とした」とアンナの目には映った(同書、64ページ)。
 なんとかせねばならない。アンナは、なんと、このまま餓死するよりはドイツへ脱出(もちろん不法に国境を越えるのである)しようという危険を伴う冒険を 選択する。これは苦難の道であった。詳細は本書に譲るが、1921年10月25日に家族に別れを告げてから、なんとかフランクフルトに到着(1922年4 月28日)するまで約半年もかかっている。三名の連れがいたとはいえ、義足で森の中を徒歩で国境を越えるというのがどれほど大変か、想像に難くない。しか も、ポーランドに入国できたとホッとしたのもつかの間、宿を貸してくれた家の主人が「厄介なことにならないように」警察に通報したので、突然二人の警官が やって来た(同書、77ページ)。
 その後は、各地の刑務所や収容所を転々としたが、その間、食事は乏しくシラミが出るような不衛生な部屋のなかに拘留されたので、途中で病死しても不思議 ではなかっただろう。実際、同行のひとりはチフスにかかり、もう少しで死ぬところだった。もしアンナたちのためにドイツ入国に必要な書類が届かなければ、 どうなっていかはわからない。アンナたちを支援したのは、ドイツにいるヴォルガ・ドイツ人や、大戦中アンナの家で世話していたドイツ人捕虜などだが、彼ら はまさに「救いの神」であったと言えよう。

「やがて列車はポーランドからドイツへの国境に向かった。アンナは、窓からの景色を食い入るように眺めた。畑は豊かで、よく耕されており、なんとす ばらしいことかと思った。ロシアでは1918年以来土地は十分に耕されないままであり、ヴォルガ地方からミンスクまではそのような寂しい風景が続いてい た。同行してきていた看護婦が叫んだ。『いまドイツの国境を越えています』。車内には喜びの歌声がわきおこった。」(同書、88ページ)


 アンナたちがドイツに脱出したあと、ソ連ではスターリンによる農業集団化と工業化政策が急ピッチで推進されたが、1930年代のはじめ、ソ連は再び大飢 饉に見舞われた。アンナの両親も兄妹も飢餓に苦しみ、財産を没収された両親はまもなく亡くなった。アンナは、飢えに苦しむ兄妹のためにドイツから何度も送 金したが、「私たちはまだ生きています」という返書を受け取るたびに暗い気持になった。
 アンナがその後ドイツでどのような生活を送ったのか、手記から詳細は分からないという。しかし、著者は次のようにいう。「ともあれ、アンナの、そして彼 女の家族の悲劇は、ロシアの富裕者『クラーク』すべての悲劇であったとも言えよう。このことを自覚するアンナのボリシェヴィキ批判は手厳しい」と(同書、 107ページ)。もちろん、「クラーク」として生まれたひとりの女性の手記だけをもとに共産主義体制を糾弾することはできないだろう。だが、アンナの生涯 は、著者もいうように、「第一次世界大戦、ロシア社会主義革命、内戦、大飢餓、農業集団化、そして再び大飢饉という、激動の時代を映す貴重な証言となって いる」ことは確かである(同書、109-110ページ)。
 歴史の大きな流れを鳥瞰する仕事も大切だが、アンナの手記に描かれたようなミクロの視点も忘れてはならない。本書はそのことを語りかけているように思われる。


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Posted by 根井雅弘 at 2013年05月13日 09:44 | Category : 歴史




kinokuniya shohyo 書評

2013年05月12日

『あの人の声は、なぜ伝わるのか』中村明一(幻冬舎エデュケーション)

あの人の声は、なぜ伝わるのか →紀伊國屋ウェブストアで購入

<劇評家の作業日誌>(62)

 本書は『密息』と『倍音』の著者がこれまでの成果を踏まえた上で、他者との根源的なコミュニケーションを探ろうとした本である。著者の中村明一氏は国際 的に活躍する作曲家・尺八奏者であり、同時に虚無僧から伝わる古い曲を採集し、それを保存していくことをライフワークとする。地方の古老を訪ね、昔話を再 話していく民俗学者のフィールドワークと同様なことを、自らに課しているのである。その徹底した研究的態度はきわめて重要だ。なぜならアーティストと研究 者はなかなか両立しえず、それを成立させているところに著者の独自の立ち位置があると言えるからだ。

 本書の骨子は、「密息」という呼吸法によって成立する「身体」と、「倍音」という声質から、「声」そのものの可能性を科学的な根拠をもって解明していくことにある。そこからタイトルにある「伝わる」ことの本質が次第に明らかにされていくのだ。

 倍音は過去の日本人に本来備わったものだった。だが西洋的な発声が主流になるにつれて、倍音を基調とした伝統的な声が失われようとしている。これ を取り戻そうとすることが本書の出発点となった。倍音には整数次倍音と非整数次倍音があり、前者は公衆の面前で演説する時に効力を発揮し、後者は親密な距 離感において成立する。つまり明確なステートメントとくぐもったかすれた声。例えば、美空ひばりの歌唱が何故すぐれているのか。それは一曲の中で、整数次 と非整数次の倍音を巧みに使い分けていて、その幅が絶妙だからである。こうした具体的な記述は門外漢にも分かりやすく、納得がいった。

 本書でもっとも感銘深いのは、日本語の特性についての分析とその利用法である。例えば、コミュニケーションは言語によってとりおこなわれているの が30〜35%程度で、残りの65〜70%は非言語によってなされているという指摘(35−6p)。つまり、意味ではなく、発語のさいの声音、声質、身振 りなどに負うところが大きい。ここまではいわば常識の範囲内だ。だがそこから先に著者の独自の見解が展開される。

 日本語は母音中心で構成されており、それ故、同じ「シ」という発音の言葉でも、「死」なのか「師」なのか、あるいは「詩」なのか、それが「声の響 きに変化をつけている」(31p)から聞き分けられるというのだ。同音異義語の多い日本語を使うさい、声音を聞き取り、素早く言葉に変換して受容している ことは驚くべきことである。つまり日本人はその微妙なニュアンスを聞き分けることができる聴力、すなわち「耳」を持っているのだ。こうした日本人の特性は 今まであまり省みられてこなかったように思われる。明確な言葉を分節化する「西洋的な発声」とは異なった声と耳で、日本語はやりとりされているのだ。非言 語コミュニケーションは人間の無意識に訴えかける。著者はこれを「無意識の領域に届く」(91p)と述べている。響いたり、届くといったニュアンスは、音 楽家ならではの感覚だろう。言うまもなく、受け止めるのは人間の身体である。

 身体は「受信機」だと著者は指摘する。身体は高性能の受信機であり、さまざまな情報を大量に受け容れては即座に解析し、それを有効な情報へ還元す る。その上で、「発信機」にもなるのだ。重要なのは、この順番である。決して発信の後に受信が来るのではない。受信が前提にあって、そのレスポンス(返 答)として発信がある。ここには表現の重要な契機が隠されている。それは日本の伝統芸能である能などの「受動」の思想に通じるものだろう。

 「密息」という呼吸法は、かねてより備わった日本の伝統的なあり方である。背筋を伸ばして立派な姿勢をとるのではなく、やや腰を引き、骨盤を倒し て腹をを突き出す姿勢、それが日本の伝統的な姿勢だったと著者は言う。その姿勢により、深い呼吸が可能になる。深い呼吸で多くの酸素を取り込めば、脳が活 性化し、無用なストレスを感じず、感情をコントロールできる。日本の武道などに伝わる達人や名人は一様にこのコントロール法を身に付け、それが「スキがな い身体」(166p)をつくり出してきたようだ。その境地は、呼吸により安定した精神状態を保つ、身体性にあったわけだ。

 現代の若者の多くは姿勢が悪く、だらしなく映る。だがそれは、精神が病んでいるのではなく、「下腹から太ももにかけての筋肉が弱っていて、踏ん張 りがきかない」(131p)身体だからという指摘は、きわめて説得力がある。呼吸が浅く、ストレスを感じ、キレやすいというのも、同様の理由から説明でき る。とかく精神主義的に回収しがちな論法に対して、対処法が明確だけに十分示唆的なのだ。おそらく今の日本に欠けているのは、こうした技法に対する学識、 すなわち科学的根拠を持った解析ではないだろうか。それが欠落しているから、「今の若い者は甘やかされて過保護に育ったから、自衛隊にでも入れて体を鍛え ればいい」という短絡的な暴論に走るのである。

 密息をベースにした江戸時代以前の日本人は、今よりも数段穏やかな生活を送っていただろう。だが明治以降、着物から洋服を着るようになって身体そ のものが変化を強いられた。さらに洋服にふさわしい生活をこなせる身体に改造する必要が出て来た。農耕民族特有の歩行ではなく、行進にふさわしい身体づく りに方針を換えたのだ。その過程で、ナンバ歩きは否定された。これは近代日本のイデオロギーのなせるわざである。もし過去の日本の良き伝統を「取り戻そ う」とするなら、明治以降に舵をとった近代日本の百五十年の歴史を振り返らねばならない。現首相のように、「強い日本を取り戻す」ために、たかだか高度経 済成長やバブル時代の栄光に遡っても、高が知れているのである。

 著者が格闘する古典芸術の世界は、現状維持だけでは崩壊していくことを宿命づけられている世界だ。だが伝統とは、故観世寿夫が言うように、壊れて も壊してもなお生き残っていくものだとすれば、廃れてしまう程度のものなら、朽ち果てても構わないのではないか。そういう覚悟が著者にあるから、逆に「良 いもの」を残していきたいという使命感が芽生えるのである。

 尺八を通して得られた知見は、やがて日本文化論に及ぶ。日本文化の「従構造」は、西洋の主題を前面に押し出す志向とは異なり、背後に散りばめられ た構図の中に溶解しているものを発見させる。その例として、主題の明確なルノワールの裸婦像と尾形光琳の「燕子花図]屏風が対比される。両者を比較するこ とで、西洋的な主題尊重と日本型の受容の差異を際立たせる。この発想はモダンの志向を解体していったポストモダンの思考に通じるものがある。日本文化がモ ダンを飛び越えて、いきなりポストモダンと同質性を指摘される所以である。だがそれは読者や観客、聴衆から「読み」を引き出す日本独特の「参加型芸術」の 伝統であって、個人や内面の不可能性からたどり着いた西洋型 「ポストモダン」とはおよそ異なるのである。

 本書は、「声が伝わる」というごく身近なところから語り起こしていくのだが、それはある種の「生活再発見」にも通じてこよう。それは「現在」ばか りに着目しがちな日本の現勢に一定の距離を置きつつ、かつ単純な伝統回帰ではなく、表現の最前線に立ったいわば「新しい伝統」づくりへの提唱にもつながる だろう。失われた「伝統」の取り戻しが本書の根底に据えられていることは、最初に記した。わたしのように演劇に関わる者にとってもこの問題意識は他人事で はない。身体と声への指摘は、きわめて示唆的だった。

 平明な語り口の中に、深く大きな射程が構想されていることを、本書の最後の頁を閉じるとき、了解できるだろう。
     

 著者の中村明一氏は、実はわたしの中学高校の同級生である。昨年、『僕らが育った時代 1967〜1973』を刊行したさいの編集委員であり、中 学時代にサッカーを一緒にやった仲間でもある。高校生になった彼はボールをギターに持ち替え、文化祭などで演奏していた時のグルーヴする彼の身体を記憶し ている。彼は理工系の学部を卒業した後、就職したが、ある日突然尺八奏者になろうと決意し、会社を辞めて米国のバークリー音楽大学に留学した。そして、プ ロの音楽家になった今、人間の根幹に関わるこんな著作を上梓したことにわたしは感慨を覚えずにはいられない。芸術は人を鍛え、謙虚にする。かつてヤンチャ だったサッカー少年は先達の言葉を丹念に読み解き、記録し、現代の文化状況に一石を投じた。その独自の視点には、まさに著者の人生が詰まっている。そうし た個人の読みを可能にしてくれたのも本書のもう一つの魅力である。


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Posted by 西堂行人 at 2013年05月12日 10:39 | Category : 心理/認知/身体/臨床






asahi shohyo 書評

「グローバリズム」の歴史社会学 フラット化しない世界 [著]木村雅昭

[評者]萱野稔人(津田塾大学准教授・哲学)  [掲載]2013年05月19日   [ジャンル]社会 

表紙画像 著者:木村雅昭  出版社:ミネルヴァ書房 価格:¥ 3,675

■今なお基底的、国民国家の論理

 グローバル経済の進展によって国家は衰退するだろう。これま で幾度となく表明されてきた見解だ。国家は市場経済にできるだけ干渉してはならず、規制緩和こそがあらゆる国家がめざすべき共通の課題である、という主張 もその一つである。経済の領域だけではない。私の専門である人文思想の世界でも同じような見解がさんざん繰り広げられてきた。
 本書はしかし、こうした見方に対して批判的な立場をとる。はたしてグローバル経済の進展は実際に国家を後退させ、フラットな世界を実現しつつあるのだろうか。決してそうなってはいないことが、さまざまな事例の分析を通じて本書で示されている。その論証は十分に説得的だ。
  たとえば欧州連合(EU)はしばしば、グローバル経済の進展に近代国民国家が対応しきれなくなったことで生まれた地域共同体であると位置づけられる。しか し、国民国家の境界でコントロールできなくなったグローバル経済の流れを地域共同体の境界でならうまくコントロールできると想定すること自体、無理があ る。債務危機におちいったギリシャの救済策においてEU各国の思惑が入り乱れたのも、国民国家の論理のほうがいまだ基底的でありつづけていることを示して いる。
 グローバル経済が進展しても国家は決して後退しないことを理解するためには、資本主義経済において国家がはたしている根本的な役割を考察 しなくてはならない。なぜ2008年の世界金融危機のとき、あれほど「政府は市場から出ていけ」と主張していた金融機関に、公的資金の注入がなされたの か。歴史的な事実として資本主義が国民国家のもとで発展してきた理由についても説明を試みている本書は、そうした国家の役割を考えるうえで極めて重要な論 点を提供している。通俗的なグローバリズム論から脱却するための必読の書である。
    ◇
 ミネルヴァ書房・3675円/きむら・まさあき 42年生まれ。京都大学名誉教授。『帝国・国家・ナショナリズム』

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「グローバリズム」の歴史社会学 フラット化しない世界

著者:木村雅昭/ 出版社:ミネルヴァ書房/ 価格:¥3,675/ 発売時期: 2013年03月

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帝国・国家・ナショナリズム 世界史を衝き動かすもの

著者:木村雅昭/ 出版社:ミネルヴァ書房/ 価格:¥3,675/ 発売時期: 2009年03月

☆☆☆☆☆ マイ本棚登録(0 レビュー(0 書評・記事 (0





asahi shohyo 書評

銀嶺に向かって歌え—クライマー小川登喜男伝 [著]深野稔生

[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)  [掲載]2013年05月12日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

表紙画像 著者:深野稔生  出版社:みすず書房 価格:¥ 2,940

■名ルートを拓いた登山家の情念

 なぜ人は山に登るのか。これは山に登らない多くの人が首をひねり、山に登る多くの人が回答を避ける、人間の実存に関する難問だ。その答えはありきたりな一片の言葉ではなく、山に人生を賭けた人間の行動と情念の中からしか見つからない。
  小川登喜男は1930年代に"魔の山"谷川岳や穂高岳の岩壁に名ルートを拓(ひら)いた登山界の伝説の存在である。といっても今では多くのクライマーに とってさえ、岩壁登攀(とうはん)のガイドブックに初登者としてその名が記されているから知っている、というぐらいの謎の人物であろう。どういうわけか彼 はほとんど山行記録を残さなかったらしい。
 東北の雪山や岩山で実績を積んだ小川は、慶応のイデオローグ大島亮吉の言葉に導かれるように谷川の岩 壁に足を踏み入れる。鋲靴(びょうぐつ)やしめ縄みたいなロープなど、今では信じられないような貧相な装備で、今でも十分登りごたえのあるルートを次々と 切り拓いていった。頼りになるのは蝶(ちょう)が舞うような登攀者としての天賦の才だけだった。
 大学山岳部のノートに残された思索的な言葉が印 象的だ。彼は言う。登山とは「芸術と宗教とを貫くひとつの文化現象」であり、「強く激しい心の働きは芸術の創造における態度に」近づくと。その言葉は今で も山に命を削る者の気持ちを代弁している。登山家は風景や自然を楽しむのではない。画家が画布に情念をぶつけるように岩壁や氷壁に一本の美しいラインを描 くために登るのだ。彼が記録を残さなかったのは山にすべてが表現されていたからに違いない。
 山はすべてを与え、同時にすべてを奪いもする。工場事故で指を失い、山を下りざるを得なかった彼の余生は、私には無惨(むざん)に思えた。その後、結婚し平和な家庭生活を送ったというが、そこに本当の笑顔はあったのだろうか。
 命の瀬戸際に立つからこその光と影を見た。
    ◇
 みすず書房・2940円/ふかの・としお 42年生まれ。日本山岳ガイド協会所属。『宮城の山ガイド』など。

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銀嶺に向かって歌え クライマー小川登喜男伝

著者:深野稔生/ 出版社:みすず書房/ 価格:¥2,940/ 発売時期: 2013年03月

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深野稔生の宮城の山ガイド 里山・奥山62座

著者:深野稔生/ 出版社:歴史春秋社/ 価格:¥1,835/ 発売時期: 1992年

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asahi shohyo 書評

江戸絵画の非常識—近世絵画の定説をくつがえす [著]安村敏信

[評者]横尾忠則(美術家)  [掲載]2013年05月12日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 

表紙画像 著者:安村敏信  出版社:敬文舎 価格:¥ 2,940

■「風神雷神」本当に宗達晩年の作?

 一例をあげる。「風神雷神図屏風(びょうぶ)」(建仁 寺)の作者といえば誰もが疑うこともなく俵屋宗達に決まっていると言う。これは常識である。本書はこんな常識に対して異議申し立てをする非常識な研究者が いてもちっとも不思議ではないだろうという論者たちの意見を、美術史家の著者が交通整理しながらその理非を裁量していく手腕が実に鮮やかでスリリングであ る。
 例えば「風神雷神図屏風」は宗達の晩年の作であるというのが定説であるが、この作品には署名も落款もない。証拠がなければ常識の基盤が揺らぐ。本書の目的は常識の仮面を剥がすことで非常識を歴史の文脈に、新たな顔として位置づけられないかという挑戦である。
  一方〈それがどうした〉、真筆であろうがなかろうが、〈いいものはいい〉ではダメなのかという疑問が起こるかもしれないが、美術史はそう甘くあっちゃいけ ない。真偽の判定には直感型と状況証拠型があるが、最後はデュシャンの言うように鑑賞者にゆだねることになる場合もあろうか。
 さて、建仁寺の 「風神雷神図屏風」をフェノロサが「伝宗達筆」として報告するまでは、「風神雷神図屏風」といえば尾形光琳、というのが常識だった。光琳が宗達の「真髄 (しんずい)に接する手段としての模写」をしたという研究家に対して、光琳はそのような近代の芸術家肌ではなく、むしろ金銭目的の職人であったと著者。こ のように回転式ドアのように常識がくるっと非常識に一変する時、歴史が眼(め)を覚ます。
 著者は江戸の常識13の事柄を挙げながら、多岐にわた る考証を展開し、検討を重ね、次々と常識の本当を採掘しながらくつがえしていくが、同時に自ら学芸員としても制度化された美術館の常識に疑問を呈し、「美 術史学の常識を問い直す」ことを訴える。そして実はこのことが「本書の執筆の主目的であった」と言っている。
    ◇
 敬文舎・2940円/やすむら・としのぶ 53年生まれ。板橋区立美術館前館長。江戸狩野派の研究者。

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江戸絵画の非常識

著者:安村敏信/ 出版社:敬文舎/ 価格:¥2,940/ 発売時期: 2013年03月

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asahi shohyo 書評

ジェンダーと「自由」—理論、リベラリズム、クィア [編著]三浦玲一、早坂静

[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2013年05月12日   [ジャンル]社会 

表紙画像 著者:三浦玲一、早坂静  出版社:彩流社 価格:¥ 2,940

■かくも複雑な性と自由の現在

 このところフェミニズムは不人気である。それは皮肉にも、男女 平等意識がある程度浸透したことにもよる。一方、当の女性たちはすでに「自由」を掌中にしたのだろうか。この素朴な問いへの解答は、困難かつ見えづらい。 最大の要因は、近年自由の難易度が急上昇したことによる。
 私たちは、自由をめぐる文化的内戦時代を生きているのだ。それは、性差別を他のマイノ リティーへの配慮とともに相対化し、希釈していく。政治的自由を求めた第一波や、社会運動の側面を持ち得た第二波に比べ、第三波以降のフェミニズムは、領 域も「敵」もあまりに不透明。鍵は自由と多様性にある。
 とりわけ興味深かったのは、編著者・三浦玲一のポストフェミニズムへの目配りである。も はやあえて問われることもなくなるほど浸透した新自由主義だが、それゆえ現在個人、とりわけ女性は、苛烈(かれつ)なまでに自由の名のもとに自己管理を要 請されている。この社会はすでに男女平等が達成されたとの前提に立ち、個人主義的に自己を自由に表現・定義することを女性に求める。そこではライフスタイ ルや消費の自由な選択が称揚され、女性個人による身体の自己管理と、「私探し」が流行していく。かつて性差は抑圧の装置であったが、現在は女性自身の欲望 を発露するツールとされ、巧妙に女性を絡め取る。三浦はAKBやプリキュアまで駆使し、この現代的様相を鮮やかに説明している。
 第三部クィア・ スタディーズに寄せられた論考も興味深い。かつて同性愛者排除は、近代家族を単位とする近代社会の成立に不可欠の要素であった。だが昨今はセクシュアル・ アイデンティティーの多様性が論じられ、新たな消費市場概念としても再定義されつつある。だがこの拡散とゆらぎは、果たして差別解消に寄与するのか。再考 すべき問いかけに満ちた、刺激的な論集である。
    ◇
 彩流社・2940円/みうら・れいいち 一橋大学教授/はやさか・しずか 一橋大学准教授。

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ジェンダーと「自由」 理論、リベラリズム、クィア

著者:三浦玲一、早坂静/ 出版社:彩流社/ 価格:¥2,940/ 発売時期: 2013年03月

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